「野生動物への餌づけを考える」
パネルディスカッション

司会者:   竹下信雄(生物多様性JAPAN)

パネリスト: 小島望(川口短期大学)
塚田英晴(農業・食品産業技術総合研究機構)
白井啓(野生保護管理事務所)
仲谷淳(中央農業総合センター)
長谷川理(エコ・ネットワーク)
高橋満彦(富山大学人間発達科学部)
奥山正樹(環境省自然環境局自然環境計画課)

司会者:
このパネルディスカッションのために会場から質問や意見などをお願いしたところ、17通ほどいただきました。時間に限りはありますが、質問についてできるだけやりとりしたいと思います。
発表の順番とはずれますけれど、最初に塚田さんへの質問です。まず、観光ギツネの交通事故死と餌づけとの因果関係、それと観光ギツネの疥癬、病気と餌づけとの因果関係について。特にデータがなくてもよいので感覚としてどのように感じていらっしゃるかお話いただきたいという質問です。

塚田:
まず交通事故ですが、観光ギツネたちは道の真ん中に寝そべって餌ねだりをしているので、それを避けようとして事故が起こった例が、私が調査をしている時に実際に起きていました。観光ギツネは、よく見える直線道路にも出没していたのですが、どちらかというとカーブの付近に多く出没していました。知床国立公園は台地上になっていまして、沢から台地に登っていくところにくねくねとしたカーブがあります。そういうところで観光客の車のスピードが遅くなる関係もあり、キツネがよく出てきて、観光客の車が止まっていました。ちょうど見通しの悪いカーブの前に観光客の車が止まっているので、事故が起こりやすい状況が生まれていたと思います。
一方、動物側の、キツネの交通事故死がどうだったのかということに関しては、データもないため、よくわからないのですが、少なくとも知床で観察した限りでは、餌づけによってキツネの交通事故死が他の地域と比べて多かったという印象はありません。キツネの場合、交通事故死するのは若い分散個体が多いのですけど、それは餌づけするしないに関わらずよく起こることなので、そのあたりの因果関係についてはよくわかりません。
次に疥癬ですが、ちょうど私が調査をしている1994年くらいから知床で疥癬が爆発的に流行り始めまして、調査していた個体のほとんどが死んでしまいました。その後、北海道全域でも疥癬が流行してキツネの個体数が激減しました。それが直接餌づけによるものなのかというと、私の印象では、おそらくそうではないように感じました。疥癬のような病気は接触感染で広がっていくものなので、ある程度個体密度が高くなるとキツネ同士が接触する確率も高くなるため、こうした要因がおそらく流行に影響していたのではないかと思われます。
ですから、観光客からの餌を食べるということと、疥癬病発生の因果関係といわれると、そこに関しては何ともいえないのですけど、直接の原因ではないのではないかと思います。

司会者:
続けてキタキツネに関しての質問で、都市ギツネの食性には季節的変化があるのかという質問です。

塚田:
都市ギツネの食性も季節的に変化します。特に春先に多く利用されるのはネズミですが、北海道の場合は雪が降りますので、雪が積もっている間は雪がカバーとなり、それが障害となってキツネはネズミが捕りにくくなります。春になって雪が融けてまだ植生が生えそろっていないような状況になると、ネズミが隠れられるカバーのない状態が生まれますので、キツネはネズミを捕りやすくなります。そのため、春の融雪時期にキツネはネズミをたくさん食べる傾向にあります。キツネはネズミを食べない限りエキノコックスには感染しません。そういう意味では都市ギツネであってもエキノコックスに感染するには必ず感染したネズミを食べる必要があります。ですから、感染したネズミがある程度いるような状況が都市にもあり、そこでキツネがネズミを捕れるという状況があって、それらが重なることではじめてエキノコックスの生活環が成立するということになります。こうした状況が北海道の札幌のような市街地には実際にあるということです。

司会者:
それから、エキノコックスが人に感染した場合、どういう症状が出るのかということなのですが。

塚田:
基本的には、どのような部位にエキノコックスが寄生するかにもよるのですが、肝臓が寄生部位としては多いですね。肝臓に寄生すると、いわゆる肝炎と似たような症状が現れます。感染してから10年から20年ほど、発症するまで非常に時間がかかりますので、症状が出てくる頃にはかなり病状が進行していることになっていると思います。放っておけば致死性の高い病気ですが、早期に血液検査による診断で感染した可能性がわかりますので、ガンの検診と同じように、検査を早めに受けることが重要です。さらに、実際に病変があるかどうかは、超音波診断などで調べればある程度わかります。早期治療することで、根絶することもできるようです。切除が困難な部位にエキノコックスが寄生してしまうとちょっと治療も難しくなるようです。

司会者:
私は実は20~30年前によく北海道に遊びに行っていて、テントを張って野外生活なんかを楽しんでいたので、エキノコックスをかなり気にかけていました。20~30年ほど前は北海道全部で実施されていたと思うのですけれど、保健所で住民全員の血液反応を見る検査をやっていました。私は旅行者だったのですけれども、無料で検査しました。ほんの十数分で反応が出るというわかりやすいものです。私ももちろん無事でしたし、他の方々も反応が出なかったのですが、今は多分それはやっていないのではないかなと思うのですが。

塚田:
無料ではないかもしれないですが、検査はやっておりますので、本州の方でも北海道で依頼すればやっていただけると思います(※北海道立衛生研究所、北海道臨床衛生検査技師会などで実施されています)。

司会者:
一斉検査みたいなものはやってないのですね。

塚田:
ちょっと今は北海道を離れてしまったので詳しくはないのですが(※北海道の各自治体で定期的に開催されています)。

司会者:
その当時、看護士さんに聞いたら、肝臓に入ると10年20年経っていろいろと症状が出てくると。ただし、それも全部肝臓が破壊される前だったら、患部を部分は取り除けば肝臓は再生するから心配することはないと。ただ北海道新聞なんかを見ていると、数年に一度くらい死ぬ方がいらっしゃいますね。それは肝臓というよりも非常に不運なことに脳に入ってしまった方じゃないかと思います。
今度は白井さんに幾つか質問がきています。様子の変わった質問なのでこれがいいですね。サルと手をつないだときに嬉しかったとおっしゃっていましたけれど、野生生物とふれあうことでなぜ人間は嬉しいと感じると白井先生は思われますかという質問です。野生生物と人間が出会ったとき人間は非常に嬉しいと感じる、そういう気持ちはなぜそういうふうに感じるのだろうか、それをどうお考えでいるのかというものです。

白井:
私の専門ではないのですが、自然好きなひとりの人間として、純粋な気持ちなのです。先ほどの写真を使ってくださった『サルとバナナ』という本を書いた三戸幸久さんという方がいらっしゃるのですが、「異類婚」という言葉というか考え方が昔からあるそうで、種類の異なる動物間で心が通じ合う、惹かれ合うような考え方だそうです。この写真は10月か11月頃で、ニホンザルの交尾する季節です。あのサルは若い雌で初めて発情したくらいの年齢で、おしりもちょっと腫れていたのですけど、まあそういう気持ちがあった可能性もある。またあの写真の場所よりもう少し下の方で会った群れの中に、やはり発情した雌がいて、サル同士のコミュニケーションで口をパクパクして関係を保つ行動があるのですけど、それをやってみたところものすごく反応して、おっと思ってカーブの向こうに誘ってみたところ、ついてきてしまって、またその先にもついてきてしまって…。詳しくは本を読んでいただきたいのですが、何かしらのそういう種を超えてそういう感情が芽生えることもあるかもしれないという研究もあるそうです。

司会者:
いろいろと奥の深い話もあるということで。私もある女子大の動物心理学の研究室にお邪魔した時に、そこでニホンザルが数頭飼われていて、そのうち、サルの方から口をパクパクさせてきました。人間がやるとサルも反応するというのはそのときは聞かなかったですけれど。サルはやはり群れの動物ですから、その動物心理学の先生は私より若い女性の先生で、その先生にいわせると学生が来ても絶対やらないと。先生と私の位置関係を見て、私におべっかを使っているといっていました。
続けてサルについて、野猿公苑のことで幾つか質問がきており、今までにつぶれた野猿公苑で、結局餌づけをやらなくなって、そのサルの群れはどうなったのかということですが。

白井:
重要な点を先ほど話しませんでしたけれども、止めてしまった原因の多くが経営難と周囲で起きた猿害(畑の被害や人への被害)です。止めてしまった後、多くの場所では畑の被害が残ったままですけど、中には追い払いを続けているというところもあるそうです。

司会者:
それからもうひとつ。野猿公苑等で数が増えてしまった場合には、他の餌づけ個体とのバースコントロールのようなものを考える必要があると思いますが、実際に不妊化の方法などがあるのか教えてくださいということです。

白井:
ニホンザルでは一部の野猿公苑に限って、実際に避妊が行なわれている事例はあります。犬で使われている棒状のホルモン薬を皮膚の下に埋め込みます。動物園なんかでも実施されているようで、それを実際に応用したものです。ただ、これにはいろんなご意見の方がいまして、野猿公苑でそれを導入するときに非常に議論があったのですが、人間のその後の責任の取り方として、適切な追跡調査をするとか、野猿公苑に限るとかそういった条件を決めて実施されています。
司会者:
白井さんと仲谷さんへの質問ですが、キタキツネの話の様にサルやイノシシでもどの程度給餌に依存しているかというようなデータがあったら教えてくださいというものです。

仲谷:
難しいですね。ただ野生動物はこうだということはないのです。場合によって全て依存できるのだったら、全て依存すると考えます。食べられるような時期だとかそういうものにも左右されます。少なくとも作物というのは栄養の塊で、動物はできればそれを食べたいのだろうと思います。そしてそれは相対的なものです。馴れてしまうと、例えば神戸の写真ですごく驚いたというか、良い写真だなあと思ったのは、横断歩道をイノシシが歩いていて、その横断歩道の停止線で車が止まっている写真です。そしてその横断歩道の反対側から50~60歳くらいの女性が歩いている。これもひとつの姿というか共存といえるかどうかわかりませんけれども。
野生動物は人間を怖がるのが普通だ、逃げるのが普通だという方もいらっしゃいますけれど、それはおそらく野生動物を人間が怖がらせているのだろうと思うのです。もしも怖がらせることがなければ、止め処なく無関心というか、そういったことになるのかもしれません。反対にかなり高い依存度を持つこともあるかなとも思います。

白井:
サルについては野猿公苑でいいますと、サツマイモや小麦などが与えられている一方で、背後の山でも自然のものをたくさん食べています。高崎山ではサルの数が非常に多いものですから、他地域では見られないほど森にダメージを与えています。しかし、この森へのダメージはニホンザルでは例外的です。
それから私が調査してきたなかで、非意図的餌づけである猿害、畑の食害の現場を見ていると、畑のものばかりを食べるのではなく、森を基本として暮らしていて、森がなければ生きていけない。森の中を動きながらその下にある畑を利用しているといった感じです。

司会者:
それでは野鳥の質問に移りたいと思うのですけど、観光目的による野鳥への餌づけ例でそれが人体への影響があった例があったら教えてくださいということです。

長谷川:
人体への影響というと、餌づけのときに怪我をするという例が考えられます。例えば日本では移入種であるコブハクチョウなどに子供が餌を差し出すと、直接手から食べようと近づいてくることがあります。ハクチョウと同じくらいの背丈の子供が餌を出した時に、つつかれて怪我をするという例は実際にあります。

高橋:
確かアメリカでは、種類はちょっとわかりませんが、ハクチョウにいたずらをして逆襲されたか何かで重傷を負った人がいるようですし、イギリスではハクチョウによる死亡例があると聞いています。多分それは心臓麻痺かなんかだと思うのですが。咬まれたりして引っ張り込まれて溺れさせられたというのはアメリカで聞いたことがあります。
長谷川:
鳥類以外では、スキューバダイビングなどで魚に餌づけをするときにも怪我をするという例もあるようです。日本ではあまり聞いたことがないのですが、海外ではサメとかウツボといった魚にまで餌づけをして、近くで見るというようなツアーがあるようです。実際にそうした危険な動物を相手にすると噛まれたりすることはあるでしょうね。

司会者:
イルカなんかに魚をやったりするのも、だいたい和やかにふれあっているような感じがしますが、実は咬まれたり怪我をしている人が結構いるという話は聞いたことがあります。
それから奥山さんへの質問だと思います。絶滅危惧種に対する給餌の量はどのように決めているのでしょうかという。

奥山:
おそらくその種類によっても、どういった個体に対して与えているのかによっても違うと思いますので、詳しい事例はちょっとわかりません。ただ、それぞれ各種に対して保護増殖事業を展開させていくにあたり、専門家の方々の委員会やワーキンググループなどを作って進めていますので、具体的な餌の量とか頻度などは基本的にはそういった専門家の方々からの指導をいただきながら決めているということだと思います。

司会者:
今日は話題にならなかった件についても質問がきています。この秋特にツキノワグマが里山近くに出て駆除されたりする例が多いということで、そうならないようにツキノワグマへのドングリ給餌を山の中で実施しているグループがあるけれど、それについては皆さんどうお考えですかという質問です。小島さんからいいですか。

小島:
全国からドングリを集めてきて、地域関係なく撒くというのは正直反対です。ただこの人たちはおそらく、クマの駆除とかそういったものに反対で、餌がなくてクマが人里に降りてきているのを防ぐ目的でやっている人たちでしょうから、丁寧に説明して説得するのがいいのではないかと思います。
先ほど演者の方々が話されたように、昔は餌づけが奨励されていたとか推進されていた、けれども今は配慮するようにとか、生態系の影響を考えながらとか、安易な餌づけはやらないようにとなってきているわけです。自然・生態系に対する考えはその時々で捉え方がいろいろと変わってくる面があるわけですから、今わかっている最新の自然科学の知見では、様々な地域のドングリを混ぜて集めて撒くのは遺伝子汚染その他問題があるので止めた方がいいとされています、といったことを説明してするべきではないというのをお話ししてはどうかと。

塚田:
私は畜産現場で野生動物を研究することが多いのですけど、クマは畜産現場では牛に与える濃厚飼料に餌づくことがあります。実際に餌づいてしまうと非常にやっかいなことになります。どんどんエスカレートして、貯蔵しているタンクを破壊して飼料を盗食することにまで至ります。また、同じ個体が何度も何度も盗食を繰り返します。電気柵を張れば、こうした被害はだいたい防げるのですが、あまりに執拗に繰り返す場合には、駆除することも必要になります。クマの場合、非常に餌に執着する習性があるということと、それに付随して人身事故などの問題が生じるので、よかれと思って餌づけをすると、こういった二次的事故のようなものを引き起こしてしまいかねないので、かえって逆効果なのかなという側面があります。動物種によって餌づけへの対処法は違うのかもしれないのですが、特にクマの場合、餌づけという部分に関してはかなり注意をすべき動物と考えております。

白井:
細かいやり方については分かりませんので一般的なことしかいえないのですが、絶滅も心配されているクマに対してドングリを集めて撒くことの目的、その方法のメリットとデメリット、それから同じ目的を達成するための他の選択肢はないのか、あるのであれば比較して可能な限り生態系に与える影響の少ない方法を選択する、費用対効果なども考慮する。こういった検討をすることがまず必要ではないかと思います。

仲谷:
あと、遺伝子汚染の中にはドングリそのものだけではなく、ドングリの中にいる甲虫だとかの問題もありますし、それについている他の微生物などもあると思います。これは奥山さん、環境省あたりでは、人里にクマが出てこないようにとドングリを撒くとかいうのはかなり大きな問題になっていたかという気がしたのですが、ドングリの給餌について、何か指針のようなもの、こんな感じだという話はされていないのですか。

奥山:
クマの保護のためにドングリを撒くことの是非に関して、環境省が組織として何か指針のようなものを出したという話は聞いていません。クマの保護管理のために基本的にどういった手段をとればよいのかということについては、特定計画の技術マニュアルなどを検討するうえで、様々なことを盛り込んで見解を出しているということだと思います。しかし、ドングリを撒くという考えは全く入っていないと思います。今、何人かの先生方がおっしゃったように、非常に様々なリスクが考えられることですので、基本的には止めた方がいいと私も思います。効果ということに関しても、どのくらいクマに摂取されてどのくらいの効果が出るかということ関してはおそらくわからないし、あまり効果が高くない可能性も大きいと思いますので、そのへんも含めると安易にそのような方法を取るべきではないと思います。

仲谷:
今のことに関して、希少動物ではないのですけれど、ヨーロッパのイノシシ被害対策では、例えば、被害のある時期は大量にくずトウモロコシを撒いたりするのです。向こうは猟区設定のようなものが非常に強く、そこの経営の中で被害があれば、猟区を経営している人たち自らが適切にコントロールするということです。日本の自然保護観とか野生動物観とは全く違う、マネージメントやコントロールすればよいというような部分があるのではないか。しかし、それが日本のような土地所有だとか、狭い国土で農場と林とが近接している様なかたちをとっているところで果たしてそのやり方、価値観、美意識も含めて、すぐにできるのかといえば…。私個人的にはあまり馴染まない、やらない方がいいと考えます。少なくとも十分に検討したうえで考えていかないと、塚田さんがいわれたようによかれと思ってやったことがかえって悪くなるかもわからないので、適切な計画とモニタリングをすることが必要と思います。

長谷川:
今年のようにツキノワグマがたくさん駆除されているというような状況の中で、人間による給餌について、社会にどのような意見や議論が出てくるのかは、とても興味深いと思っています。
餌がなくて困っているツキノワグマを絶滅から救うという主張で、日本各地でドングリ集めを展開している活動は、以前からあると思います。こうした活動を行う人たちには、本当にいつも山に餌がないのか、そもそもツキノワグマの個体数変化はどうなっているのかという根拠を自分たちでも示す必要があると思います。
ただ今年は、地域によっても違うでしょうが、研究者の中にも、ドングリが不作で餌がないのではないかというコメントを出している人がいるように思います。そういう意見がある場合には、特定の団体以外からも、ツキノワグマを撃ち殺さないよう餌を置く方がいいのではないかという意見が出てくる可能性はあると思います。私はたとえドングリの凶作の年であっても人間が餌を撒くのは問題だと思いますが、クマの出没が餌不足によるという根拠がそれなりに示された場合に餌を供給しようという意見と、とにかく毎年毎年餌を集めて撒くのがよいという話とは、ある程度は分けて考えた方がいいと思います。
それから、仲谷さんがおっしゃられたように、ツキノワグマを保護するためという理由でなく、クマによる人への危険や農作物被害を軽減させるために餌を与えるという状況もありうると思います。例えば里山の二次林がバッファーゾーンとしての機能を失いクマがすぐに畑まで来てしまうような場合。代替措置として、餌を置いておいて畑までこないようにする。こういう一時しのぎの対処をしているところもあるでしょう。もちろんこうしたやり方も、かえってクマを誘因・定着させることになるかもしれませんから問題がありそうですが、少なくとも、無条件に餌を与えることがいいと思っているのと、対処療法的な餌やりというのは、その目的や効果を混同しないように評価した方がよいだろうと思います。

司会者:
私はいろいろな報道を見ただけで直接は確かめていないですし、いろいろな研究者の話のうち非常に一部しか報道されないようなので、こういうことをいうのはよくないのかもしれませんが、クマが出てきたから今年はドングリがあまりなっていないのではないかという印象で、実際に山の中にどのくらいのドングリがなっているのかという話はあまり出てこないと感じます。本州では、ナラの類、特にコナラなどが寄生虫によって非常な速さでどんどん枯れています。ナラの実は結構大きいですから、それをツキノワがかなり頼っていたとすれば、相当尾を引く非常に長い問題となっていき、給餌の問題とは別の観点からツキノワグマは難しい時期を迎えるのではないかと思っています。これは私の個人的な感想なのですけれど。
それからもうひとつ、今日話題に出ていたタヌキのことで質問がきていて、タヌキは昔から里山とか人里に出てきて餌を食べていたと、だから最近は都会でもみられるようなタヌキが残飯をあさる行為くらいは大目にみたらどうかという意見がきていますがどうでしょうか。高橋さんいかがですか。

高橋:
私が与えられている役目は法律の話かと思うのですが、現状では大目にみるもみないも別に野放しになっているのではないかと思うのです。生ゴミの処理方法は町内会の決めごとなどで厳しく決まっているところもあるかもしれませんが、基本的には何もありません。

司会者:
先ほどイノシシにやられたらしいというのは、お宅の方の畑の隅で。

高橋:
タヌキなのかイノシシなのかわかりませんけれども、掘られているというのは確かです。先ほど法律で全面的な禁止というのはあまり現実的でないにしても、クマやシカなどの被害が予想されるものの餌づけは法的に規制や禁止すべきだろうという話をしました。そのときに頭にあったのは、アラスカ州では意図的に給餌、クマやシカ、オオカミ、コヨーテ、キツネなどに意図的に給餌し、漫然とゴミや餌を放置するなどの非意図的な給餌はしてはならないと州法で決まっているということです。そういったものが日本に導入されたあかつきに、次にタヌキはどうするのという話はあるかもしれません。私はタヌキの専門家ではないのですが確かにタヌキはかわいいです。

司会者:
外来生物なんかもあまり過去に遡っては現実的でないということで、だいたい明治時代になってから入ってきたのを配慮していこうという議論があったかと思うのですが。アメリカなどでは西部の保護林?になっているところの野生馬なんかも、あれは16世紀ぐらいに入った馬が野生化したもので、それについてはいろいろと議論があるらしいのですが、捕獲しようという話にはまだなっていないようです。そういうことで、人との距離の関係が昔からあるならば、いろいろな考え方があるのかなという気がしないでもないのです。
高橋さんに専門家のような質問がきているのですけれど、高橋さんの話の中で野生動物は無主物だから行政が管理できる、管理することになっているという話があったのですが、それは本当ですか。行政は管理していないのではないか、具体的にはどのような行為を指して管理しているというのでしょうか、というものです。

高橋:
時間の関係上、説明が杜撰だったかもしれません。文脈として私権との調整ということで、私有地での給餌は自由なのか、要するに「俺の土地なのだから何をしようと勝手だ」ということが可能かどうかということについてです。あなたの家畜、あなたの所有している動物なのであれば、それはスナック菓子をやろうと何を食べさせようと、あなたの勝手でしょう。虐待してはいけないでしょうけれど。
野生動物は無主物ということですが、では無主物なら何をしてもいいのかと思う人もいるかもしれません。しかし、そうではなくて、民法上は無主物ですが、行政が必要に応じて管理をしますよということなのです。だから勝手に捕って食べてはいけない。勝手に捕って食べると鳥獣保護および狩猟の適正化に関する法律で罰せられます。
それと同じような理屈で餌を与えてはいけないと法律で政府が定めれば、それは可能ではあります。ただやってはいませんが。何度もいっていますが、それは国民の自由をそれだけ束縛することなので、相当の合理性、理由がないといけないわけです。自分の土地で鳥やタヌキに餌をやって何が悪いといわれた時に、こういうことが理由でだめなのですといえるかどうかということです。

司会者:
無主物という概念は非常に難しくて、昔、結局何が何だかわからなかったような気がします。公物管理という法律概念がありますが、それと無主物の管理とは違うのでしょうか。

高橋:
日本では河川とか河川の敷地は公物として管理されるのが普通です。野生動物は公物かと問われると、日本では特に公物とはいっていません。よくわからないのですが、実際に公物の管理の中に野生動物は入っていません。というのは、グレーエリアがあって、基本的には物の所有というのは動産の場合は占有しないといけない。野生動物は占有して初めて所有権が発生するので無主物だといっているに過ぎません。ただし、無主物だからといって全く規制できないのかというとそんなことはなくて、空気や水は誰も占有していないけれども政府は水質汚濁防止法とか大気汚染防止法とかで管理しているではないですか、ということです。

仲谷:
ふと思ったのですが、鳥獣被害にあった時、それは誰の責任になるのかといった場合、河川だとかの管理責任者に対して住民訴訟を起こされるといったふうなことがありえるのでしょうか。そういったことは今の日本では難しいかなとは思うので、補償などではなく農業共済とか違う支援とかが向いているような気がしますが。海外においてそういった無主物を国の所有であると明確にしているかはわからないですが、鳥獣行政の中で今後訴えるといったらおかしいけれど、行政への訴訟というのは海外ではあるのでしょうか。

高橋:
今日のテーマとは逆の方向にいってしまっていると思うので、手短にお答えします。基本的には難しいと考えます。日本でも昔、カモシカ裁判というのがあって、カモシカを天然記念物に指定したために駆除できなくて、森林に被害が起きているのだから文化庁が補償金を払うべきだといった裁判がありました。結果はそうはなりませんでした。
アメリカとかだと野生動物は州の財産であるといっているではないか、日本でも同様にした方がよいといっている人がいるのですけれど、法律をよく読むと、野生動物は州の財産であるからレクリエーション等で利用する者は州に金を払うようにと。そういったことを州は管理する、州の資源であるとなっているのです。ただし州は補償をしません。例えば日本と法律の制度が近いルイジアナ州は、州の財産であるという一方で、ただし野生動物被害は補償しませんとハッキリと書いてあるのです。つまりアメリカの場合、野生動物は州の財産であるというのは日本風にいえば公法、行政法的な話であって、民法とかの財産法的な話でないという分け方をしているのです。それ以上追及すると大変なのでこのくらいで。

司会者:
それでは元に戻します。幼稚園の子供たちと川辺でオナガガモの観察をしているときに、一握りのパンを与えています。これは自分たちも賛否両論があるのですが、是認してよろしいでしょうか。長谷川さんいかがですか。

長谷川:
私も、池でカモに餌をやっている子供や公園でハトに餌をやっているおじいさんに、いちいち文句をつけたりはしません。でも自分の子供には「できるだけ餌なんてやらずに観察しよう」といいます。
餌づけについて話をすると、必ず「どこが境界線ですか」とか「何が良くて何がダメなのですか」ということを聞かれます。しかし、このような行為にはっきりとした是非を決めるのは無理だと思います。多くの環境問題と同じです。例えば道路をつくる場合です。世の中にはどんな道路でも全て建設反対という人もいるかもしれませんが、普通は状況に応じていろいろな判断をするだろうと思います。4車線ではなくて2車線にしようとか、ここは絶対作らない方がいいとか、ここは迂回させようとか。環境への影響について意見が分かれることはあるでしょうが、個々の状況に応じた対応をするしかないと思うのです。
食べ物を与えるという行為も同じです。子供がお菓子を欲しがるからといって、いくらでも無制限に与える大人はいないでしょう。お菓子をあげても構わないかどうかは時と場合によるでしょうし、あげてよい量というのも考えると思います。池でカモに餌をやってもいいのか悪いのか、どのくらいならいいのか、それも状況によって異なるでしょう。ですから、餌をあげてもいいかどうかを、子供達といっしょに考えるようなことも大事だと思います。まだそれを考えるのが難しい小さな子供には、無理やり餌やりを禁止する必要はないと思いますが、周りの大人はもうちょっと考えて欲しいと思います。
ただ餌づけの問題については、まだまだ情報も議論も少ないので、個々の行為について一人一人に判断してもらうというのは難しいかもしれません。気にかけてもらった方がいいのは、公園を管理する立場の人などですね。次から次へと多くの人が餌を投げ入れてしまうというような場合には、その場所を管理する立場にある人はもっと対策を考えた方がいいでしょうね。子供だけでなく、みんなが止めるように呼びかけるとか。
まずは餌づけという行為の影響を気にかける人がもう少し増えて、社会に関心が広がって欲しいと思います。子供がカモにパンを与えるという一つの行為に、どれだけ大きな問題があるかは分かりませんし、頭ごなしに止めさせるのも可哀そうだし、きりがないでしょうね。まずは大人達が、できれば子供達もいっしょに、野生動物に餌を与える必要があるのかどうか考えるような機会を増やしていただければいいのではないかと思います。

司会者:
もうひとつ長谷川さんにこういう質問がきていました。先ほどの池の富栄養化はカモなどに餌を与えた結果が原因とのお話しでしたけれど、本当にそれが原因で間違いがないのですかという質問です。

長谷川:
アオコに関してはパンなどの餌だけが原因とはいえないだろうと、その十勝池を管理されている方たちもいっています。ただし、その方たちはパンの投入量とかは調べたりしています。小さな池では分解しきれないような量が投げ入れられていること、それが風下に流されて溜まったり、ヘドロのように底に溜まって水質を汚染したことは間違いないだろうということです。アオコについては別の要因もあるでしょうが、カモへ給餌された餌も一因にはなっているだろうとのことです。

司会者:
先ほどの、幼稚園の子供たちがちょっとパンを一握りやるのはどうかという話があったのですが、ここでもうちょっと、安易な餌づけと適正な給餌の分け方というかそういう点をぜひ明解にしてほしい、そういう議論をしてほしいということで、実はこれが全体を流れる今日のメインテーマという気がしないでもないのですけれど、何かスパッとこうだという考えをお持ちの方は発言していただきたいのですが。

小島:
ものすごく端的にいってしまえば、お金に絡むかどうかで、観光業者などの組織で観光客を集めるために餌づけを大規模化しているところ、必ずしも大規模でなくてもよいのですが、餌づけをすることでお金を得るところが行なう餌づけと、あとは先ほどの長谷川さんの話にもあったように個人の趣味程度の餌づけとの間にラインを引くという考え方です。あとはクマの餌づけなどの危険な結果を招くであろうと想定できるような餌づけもダメでしょう。その辺りがしてはいけない餌づけと、そうでないものとに線が引けるところかと思います。

高橋:
どこかで線を引かなくてはならないと思うのですけれど、営利であったらだめで非営利であったらよいというのは、今のエコツーリズムの推進法とか出てきている現在、社会的に受け入れられるのは少し難しいのではないかという気がします。
ただ観光的な餌づけというのは、継続的に餌をやること自体が観光の目的化している場合には、やはりこれは大規模化するので問題があると直感的に思いますし同意はします。バードウオッチングとか野生動物の観察であるとか、日本ではあまりないでしょうけど、アメリカの国立公園、あるいはアフリカのサファリなどというものを考えると、野生動物を見せる観光というのもこれから小規模ながら日本でも起きてくると思うのです。ずっと餌づけをするのはよくないでしょうが、人づけというか寄せる時に導入部分として餌づけを利用するというのは大いにあり得るのではないかと思います。私はそれ自身を頭から否定する気はないのです。そういった意味でそういった線引きはもう少し精緻化しなければならないのではないかと。
あと営利で使う場合には、それは管理したいのであれば届け出制や登録制にして規制するという方法ならばありかなという気がします。個人の方がむしろ勝手なことをやってむちゃくちゃやって収拾がつかないという気がしますが、どうでしょうか。

小島:
営利目的でもコントロールできていればいいのですが、現実にはそうなっていません。私は趣味でよくダイビングに行くのですが、魚に餌づけをする時間をプログラムに組んでいる業者が非常に多い。餌につられて魚が集まってくるのを観光客は喜ぶし、ある程度ニーズがあるので、客商売の業者は止めないし止められない状態になっています。一旦餌づけサービスが不可欠な状態になってしまうと、それを自発的に減少させたり止めたりすることができるアウトドア業者が存在するとは私には思えません。餌づけをやっているけれども、持続的利用可能であるとの裏づけがあってやっているのであれば話は別ですが。しかしそういった事例を今まで見聞きしたことがなく、あるとも思えないので、営利目的かどうかで線を引くことはかなり明確なことだと考えたのですが。

高橋:
害悪があるから規制するというスタンスに立つと、営利か非営利かというのは全く線引きとして使い勝手が悪いのです。儲けているから金をよこせというならばそれはそれで使えますが。少し難しいかな。

白井:
私はサルや哺乳類以外はあまり知らないのですが、先ほどスライドでもお話しさせていただきましたが、サルで見ていますと管理者がいるかいないか、管理者がいるということは目的がある、管理者がいないとか目的がない場合は安易な場合が多いかと感じます。ただ営利目的であっても趣味であっても、一部保護のための給餌を除いたとしても、餌づけというのはあります。私個人としては自然の一部である野生動物に餌をやることはいいことと思いませんが、高橋さんのお話にもあったようにいろいろな方がいて、野生動物の価値という表現のなかでいろいろな活用を並べたり、美しいから好きだとか見て楽しむという人もいるわけです。生態系に大きな影響がないとか営利目的であっても許容範囲の場合もあるかもしれませんし、ひとつひとつ検証するしかないと思います。その中でスパッとなるべく説明の効く文言を探す他ないのではと。

塚田:
非意図的餌づけというのがありましたけれど、要はエコツーリズムなどで野生動物をより見やすくするとか豊富にするとかいうかたちで、環境改善の方向性として、例えばシカなどの場合は牧草を生やせば増えてしまいので、そういった操作をすることで、積極的な餌づけではないものの、ある程度目的の動物を増やすことは現実的に可能だと思うのです。こうした非意図的餌づけが商業ベースのエコツーリズムにつながるということがあるとすれば、それを否定することは現実問題としてなかなか難しいことではないかと思います。ただ、どういう方向性でやっていくのか、そのやり方が社会に許容されるのか、また、その地域で許容されうるものなのかなど、社会的にクリアしていかなくてはならない部分がありますので、なかなか金銭的なものだけで切ってしまうというのは難しい場面もあるのではないかと私も少し感じました。

高橋:
敢えてどこかピシッと線を引いて管理したいのであれば、できなくはないと思うのです。ただそこまでやるかどうかの問題です。そこまで社会が受け入れるかどうかですが、ひとつの例としては狩猟法があります。もともと狩猟は明治時代かなり自由だったのですが、この種については捕獲してはいけないとかこういった捕獲方法をしてはいけないとかいうものだけ禁止していました。ところが大正7年になって狩猟法を全面改正して、捕獲してよい種だけを決定して残りは捕獲禁止としたわけです。捕獲する方法も徐々にこれもだめあれもだめと減っていきました。ただ、今でも自分の家の庭で素手で狩猟期間中に狩猟鳥獣を捕るというのであれば許可必要ありません。なぜかというと、それは「軽微なこと」であるからです。
だから考え方としては、餌づけだって今は何もない状態ですから、これからこういった餌づけは止めてくださいというくらいの状況にもっていけばどうですか、というのが私の話だったのですが、それでも足りないのであれば、餌づけは基本的に禁止です、ただし自分の家の庭であるとかそういったところでする軽微な餌づけなどは許可がいりません、許しますよという感じにもっていくことになるのではないかなと考えるのです。業者については諸外国などではやっているような、ハンティングガイドのような商業オペレーションは登録制・免許制ですと、必要であればそうすればよいのです。ただ、それだけの必要性があるということを是非皆さんが示さなくてはいけないなということです。

長谷川:
私はさっきもいいましたが、線引きはかなり難しい、たぶん無理だろうと思っています。例えばタンチョウはよいがハクチョウはだめといったような生物種による線引きなども難しいと思います。タンチョウの個体数の回復に人工給餌が有効だったのは明白ですが、絶滅しかけていた時の給餌と今とでは状況が違うと思います。この先も、個体数の増加に応じて給餌量を増やせるだけ増やしてもよいのか、すでに1000羽を超えたのだから給餌量を頭打ちにする、あるいは徐々に減らしていくのか。タンチョウだから、永久にいつでもどこでも餌を与えてよい動物だということにはなりません。ハクチョウやその他の動物についても、この場所では少々構わないがこの場所では絶対止めた方がいいという場合があるでしょうし、やはりその種や個体群の置かれている状況に応じて判断するしかないでしょう。
営利か非営利かというのも、生態系への影響とは関係ない場合がありますから、線引きは難しいでしょう。自然保護目的のボランティアや環境教育など、善意で、非営利でやっている場合は良いかというと、そういう中にも実は環境への悪影響が見られる場合があります。
さきほど高橋さんがおっしゃられたように、原則的に全部禁止で、一部を許可制にするみたいな方法で線を引けるのかもしれませんが、私も現実的ではないと考えます。今はまだまだ問題点の整理も議論も非常に少ない状態なので、まずは問題がありそうなところから解決していくしかないと思うのです。いろいろな餌づけ行為がありますが、その中で考え直した方がよいものに優先順位をつけて問題解決を目指す。優先順位の低そうな、あまり問題のなさそうな行為については、後回しにするとか、目くじらを立てないとか、そうした対応でも仕方がないかと思っています。ですから、無理して境界線を引くという作業にも、そんなにこだわらない方がいいのではないかと考えています。

小島:
私は線引きをするうえで営利・非営利がわかりやすいといったのは、お金が関わってくる分、営利な場合は非営利に比べ歯止めがきかないという現状が根本にあるからです。それはやはり安易な方法で動物と接することができるコストパフォーマンスの高い方法なので止められないのだと思うのです。
あと、高橋さんが、研究者は一般市民を動物から遠ざけているようだという話をされていましたが、私自身は基本的に一般市民が動物にある程度は近づくことができればとは考えています。それは、動物とふれあいたいとか、ふれることができなくても、おそらくそういった気持ちを持つ人たちから自然の守り手が出てくるのではないかと感じているからなのです。もともと自然や生息地を開発からどう守るかということが私の研究活動の命題なのですが、餌づけ問題に非常に興味を持った理由として、人間と動物、自然とがよりよい関係を築くために必要な、変わらなければならない人間側の意識や生活、価値観のようなものがこの餌づけ問題に含まれているのではないかと考えたからなのです。したがって、餌づけ問題を題材にした環境教育を特に小中学校などで導入することが結局一番の早い道だと考えています。しかしながら、餌づけ問題の普及啓発が鳥獣保護法の指針に記されているにもかかわらず、現実にはほとんど進んでいません。
まずは問題が大規模で特に歯止めがかかりにくいところから、つまり利害が絡んでくる餌づけを規制するとか届け出制にするのがいい案だと思うので、そういったところから解決していく方がいいのかなと思います。その時に餌づけ問題というのを環境教育の題材として扱うのがよいのではと考えています。

司会者:
奥山さんも環境省ではなくて野生生物保護学会の立場で何か考えていることがありますでしょうか。

奥山:
保護学会というか全く個人的な私見ですけれど、私自身はもともと子供の頃から鳥が好きで自然保護の道に進み、環境省に入りました。最初のきっかけは、小学校5年の時にサントリー愛鳥キャンペーンの新聞広告を見て「庭に小鳥を」というリーフレットをもらい餌台を作ったことです。すぐにカワラヒワとかメジロとかがやって来て、こんなきれいな鳥がいるのだと感動したのが自分の中で鳥や自然保護の世界に進むことになるはじめだったと思っています。そういうこともあるので、餌づけを完全に否定する気にはなかなかなれないし、先ほど話題に出ていた幼稚園の子供が一握りというのはできたら認めてあげたいなという気持ちがあります。
線引きということになると、種の保存に関して本当に必要性があるかどうかというような線引きは可能だと思いますし、必要なこととして残ってくる部分が必ずあるのではないかと思います。しかしその場合も、それも科学的に効果があるか、悪影響がないかということを常に考慮に入れていかなければならないと思います。
先ほど議論されていたところの安易か安易でないかということについては、線引きがすごく難しいのではないかと思います。また、営利目的というと鳥や獣に餌をやること以外の目的が常にあるわけですので、気持ちとしてはそういうのは認めたくないというのはわかりますが、営利か営利でないかというのも、線引きとして使うとなるとなかなか難しいのではないのかという気がします。
感覚的な話になってしまうかも知れませんが、環境教育を考える時には、餌を与えることがどれだけ野生動物や生態系に影響を与えることがあるのかということを学ぶ前に、情操教育というか、生き物が好きになるきっかけであったり、生き物についていろいろと考えるようになるきっかけであったりというところがやはりまずあるような気がします。動物園とか飼育動物でどれだけそのあたりが代替できるかということも考えていかなければならないと思いますが。幼稚園くらいから禁止されて、水鳥やハトに全く餌をやったことがないという人たちばかりの社会になった時に、今よりも野生動物の保護とかがうまく進むというようにはなかなか思えないというのが個人的な感想です。

白井:
私も気持ちではそう思うのですが、だからといって小学生に餌をどんどんやりましょうという奨励まではできないと。私が聞いていて思ったのは、線引きというのは先ほど小島さんがおっしゃったように、いろいろ環境教育などやっていくうえで、また保全をやっていくうえで、テーマとしては別にいいと思うのですが、きれいに線引きというのはそれを進めるためにあったら便利なわけですが、おそらくは難しいと思うのです。ですから私が思ったのは、幼稚園で餌をやるのはいいとか悪いとか人によってだいぶ違いますが、こういう影響があるとか、ハトはこのあとどうなるかもしれないとかというように、子供たちが餌をやったことでこの子はどういうふうに考えていくのかそういうことをきちんと先生が考えていくべきだと思うのです。
ペットというのは人間がつくり出してしまったものですから、犬に餌をやらないわけにはいかないと思いますが、犬やニワトリに餌をやった延長で、道にサルが出てきたら餌をやっていいのかどうか、そこでも野生動物への接し方というのをしっかり教えるといった段階を踏んでいくことも大事だと思います。あと白黒をハッキリさせるとやりやすいのですが、餌づけに限らずやはりグレーゾーンのようなものがやはりあった方がよいと思うのです。ですからそのグレーゾーンの伝え方でタンチョウの話のように段階によっても許容範囲が変わりますので、その都度必要な議論をして見直しをしていくこともひとつかなと思います。

仲谷:
今聞いていて、線引きといったときに2つの部分があるのではないかと考えました。ひとつは地域的な問題の利害を調整するための線引き、よいとか悪いとかという判断は何かでできるかなという感じがします。場合によっては法律が絡む部分もあるかと思います。もうひとつは、おそらく小島さんがいわれているような部分は価値観の部分で、これがよいのか悪いのか、例えば生態系の保全ということも価値観に大きく関わると思うのです。昔はもっと動物に餌をやった方がよかった時代かもしれないし、今は悩みながら何を子供たちに教えればいいのかというような、迷って考えている時代かもしれない。ひょっとしたら、いつかはもっとやった方がよいよと変わるかもしれない。逆に餌を与えないでできるような方法というか価値観の中で、やはりそれ自体がよくないというような価値観が出てくるのかどうか。そういった2つの側面があるのかなと。前者の方は利害の中で営利はだめだとか被害や問題がこれだけあるからだめだとかいう話は可能になる部分で、後者の場合は本当にもう線が引けるようなかたちではなくて、やはり議論とかいろいろしながら、価値観の中でどうするのかということを迷いながら決めていく部分。そんな2つの側面があるような感じがするのですけれどもどうでしょうか。

塚田:
私も実はキツネの研究を始めるにあたって、知床で観光ギツネが餌づけされていることに非常に疑問を持って、これはあまりよろしくないというところから研究をはじめました。研究をやってわかったことは、事実を記載することはできるのですが、価値判断をすることは残念ながらできないということです。
今日の発表でも、餌づけをすることでエキノコックスとの関連でこういう事態が起こります、リスク要因についてはこのようになりますということは伝えられるのですが、そこから先に関してはあくまでも私の価値判断になってしまいます。ですから、そういう事実があるということに対して私はこう思いますということをお伝えしたのです。
要は餌づけというのは単純に餌を与えるという行為でしかなく、それは単なる現象であるに過ぎません。対象も違えば与える量も目的も違います。それらを一括りにして餌づけの問題として論ずることは可能なのですが、それぞれの餌づけで対象、量、目的など、各要素に分けて考えていかないと、あまりにも多様なものがあって、実際には一括りできない問題をはらんでいると思うのです。単純な線引きというよりも、こうした細部について、対象がどうなのか、量がどうなのか、目的はどうなのかということをひとつひとつ丁寧に解きほどいていくことで、それぞれにあったいろいろな問題が出てきて、どういったかたちで個別の餌づけについては考えていきましょうという話になってくるのだと思います。
例えば、今回私はキタキツネの餌づけに限定して話をしましたが、ホンドギツネの餌づけも当然考えられるわけです。けれども、キタキツネと同じような議論は全くできないと考えています。それは同じキツネであったとしても文脈も違いますし、本州にはエキノコックスがいませんし。そもそも、どのように捉えていけばいいのか私にはよくわかりません。
でも単純に餌をやってキツネが来てくれるところから、それを楽しいと思い、キツネに興味を持つということは確かなことかもしれない。実際、私がキツネの研究をはじめたのも、別の形でですが、キツネに対する興味が生まれたからです。こうしたきっかけを単純に最初から奪ってしまう、そういう機械的な線引きを餌づけに入れてしまうのは、私にとってはちょっと残念なことかなと思います。野生動物への最初の接し方として餌づけをとらえ、そのあたりをもう少し丁寧に、せっかくですからどういうふうに考えたらいいのかについて具体的に論じていければいいのではないかなと思います。そして、もっと具体例を増やしていって、様々な対策を考えたらいいのではないかなと思います。

司会者:
ありがとうございました。議論がだんだん白熱してきて異論反論もおありかもしれませんけれども、閉会の時間になってしまいました。今回のシンポジウムは特に最終的な目標を設定してあったわけではありませんが、議論の集約みたいなものはかなりでき、今後どういうことを考えなければならないのかという課題は出たのではないかと思います。
最後に、今日の記録をどこかでまとめて発表されますかという質問があります。

小島:
もちろん、報告書を作成するつもりです。冊子にするか、PDF化してホームページで公開するかはまだ決めていませんが、必ずかたちにできるように致します。

司会者:
いろいろな議論の土台になるような話がずいぶん出たと思いますので、その報告書がまとまるのを期待したいと思います。それでは今日はこれで終わらせていただきます。長い時間皆さんありがとうございました。会場の皆さんもお疲れ様でした。ありがとうございました。

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