餌づけに対する法的な評価と対応策
高橋満彦
(富山大学人間発達科学部)

高橋満彦です。よろしくお願いします。富山大学で環境法を扱っていて、野生動物法(Wild Life Law)が主な関心事項です。野生動物については鳥を見るのが好きで、昔から野鳥観察などをやっていました。
それでは早速話に入りたいと思います。

餌づけをしてきた理由

野生動物に対する餌づけということですが、ひとつ面白い写真があります。これは、アメリカのイエローストーン国立公園のクマ給餌場の写真です(写真1)。レンジャーがカッコよく馬に乗っていますが、その後ろにクマがいます。写っているランチカウンターはクマ専用と書いてあります。かつてイエローストーンではクマの給餌が観光の大きな目玉でした。ところが、毎年20人ぐらいの人が怪我をし、挙句の果てに襲われて亡くなる人まで出てしまい、1970年代前半に餌づけが禁止されます。ですが、その直後でも次の写真にあるように、こうして餌をおねだりするクマが出てくるという状況にあったということです(写真2)。

餌づけによる人間への被害など、餌づけの問題について今までのお話の中でもいろいろとありました。咬まれたり怪我をしたり、人畜共通感染症にかかってしまう。あるいは、動物が集まりすぎた結果、農林水産業や私たちの生活に対して鳥獣被害が発生する。さらに家畜伝染病という形でそれが野生動物から家畜へ移ってしまうという被害が発生する。生態系のバランスが撹乱される。野生動物に与えた餌が合わず栄養が偏ったり、あるいは有害だったりする。水質汚染が発生する。さらに動物の集中によって植生が破壊されてしまうといった問題もあるといわれています。では、どうしていままで餌づけが行なわれてきたのかを考えてみます。

これはちょっと古い写真ですが、タンチョウヅルの給餌です(写真3)。写真に写っているのは、今回のシンポジウムの後援団体である日本野鳥の会の、鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリの生みの親である伊藤良孝さんです。この方は、ツルの給餌活動で勲六等瑞宝章や環境庁長官表彰をもらっています。

次は私が撮った写真ですが、外国では冬期間シカに給餌することもよく行なわれています。ドイツのバイエルンの例ですが、この写真に写っている人は州の営林署の狩猟官です(写真4)。サイロの中にも倉庫の中にも餌が詰まっています。冬場に餌をやる理由は、餌場にシカを集めておいて、冬期におけるまわりの森林に対するシカの食害を予防するためだそうです。また、シカを見るレクリェーションや自然観察のためなど、冬場の餌やりはポピュラーなものです。そのほか、冬場以外でも塩をシカにやるということがヨーロッパではよく見られることです。

こういった例をみますと餌づけにも当然メリットがあり、だからこそ今までやってきたのだといえます。冬のタンチョウヅルの給餌については、絶滅危惧動種の数を回復させるということ、先ほどのシカの例では、鳥獣被害を軽減あるいは回避するということです。ただ、先ほどデメリットの中でもいいましたが、餌づけというのはもろ刃の剣で、鳥獣被害を軽減することもあれば増やすこともあります。

その他の例をみてみますと、鳥獣の涵養(かんよう)、つまり鳥獣の増殖ということがあります。これは諸外国で狩猟鳥獣を増やすことを目的になされることが多いですが、林業にとっての益鳥を増やすといったこともあるかと思います。また、餌づけによって身近に動物を観察したり、動物と触れ合うということが可能になります。当然容易に観察できますから、研究や教育を目的に餌づけされることもあります。さらには、餌づけによってその場所が観光地化するということもあります。このような場合、「人づけ」という言葉を今日初めて聞きましたけれども、人づけをする最初のきっかけとして餌づけをし、そのあと人に慣れてきたら餌づけを徐々に止めていくといった利用の仕方も多いです。ずっとまんべんなくいつまでもやっているというわけでは必ずしもないということです。

餌づけの法的評価

そういったなかで餌づけに対する法の対応をみてみますと、伝統的には餌づけは法律の中で是認されていました。私も子供の頃、昭和20年代に雪でタンチョウが餌を捕れなくて大変だったときに、地元の小学生がツルに餌をやったということを美談として読んだことがありました。また、芦ノ湖のオシドリに小学生がお茶殻を送ったというのが美談としてあったことも覚えています。昭和25年に狩猟法の改正で鳥獣保護区が創設されますが、それはただの禁猟区ではなくて、給水給餌施設等を設けて積極的な保護を展開しようということでした。また、その3年後に禁猟区が全て鳥獣保護区に転換されます。鳥獣保護事業計画というものにおいても、野鳥に対する巣箱、給餌、給水が肯定されてきました。

ただ近年は、保全生態学の進展、あるいは鳥インフルエンザ等の人畜感染症に対する心配から、こういった姿勢は慎重を期す方向に転じられてきたといえます。そして、平成19年度~23年度までの5ヶ年計画については、平成19年に第10次鳥獣保護計画の基本方針が環境省から出されています。このなかで、安易な餌づけの防止というのが盛り込まれることになりました。
先ほどアメリカのバードテーブルの話がありましたが、戦後こういった給水給餌、あるいは巣箱といったものが積極的に展開された背景として、終戦後アメリカの占領軍のもとでアメリカの鳥獣保護思想、鳥獣保護のやり方が入ってきたということがあります。ただ、戦前のドイツ林学の中で、キツツキとかシジュウカラといった鳥は森林にとって利益をもたらす益鳥なので、保護や増殖を図るために巣箱をかけなさい、餌をやりなさいということがありました。多摩市に戦前あった鳥獣実験場において、そういった研究がなされていたということを聞いています。

では、現行法の中で餌づけ、給餌というのはどのようにとらえられているのかということをみていきたいと思います。鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律(鳥獣保護法)や、絶滅のおそれのある野生動植物種の保存に関する法律(種の保存法)のなかでは、国や都道府県が行なう保護事業の一環として給餌というものが盛り込まれています。そのようなことから、タンチョウの餌づけといったものが入ってくるわけです。
さらに法律で、鳥獣保護区などでは地権者の合意がなくても給水給餌施設を設けることができる、といった条文もあります。鳥獣保護法の第二十八条の第十一項に「鳥獣保護区の区域内の土地又は木竹に関し、所有権その他の権利を有する者は、正当な理由がない限り、環境大臣又は都道府県知事が当該土地又は木竹に鳥獣の生息及び繁殖に必要な営巣、給水、給餌等の施設を設けることを拒んではならない」とあります。

しかしその反面、安易な給餌や身勝手な給餌など問題が多い給餌があるというのも事実ですが、これに対しては、鳥獣保護区の中においても給餌行為は規制される行為に含まれていません。自然環境保全地域や国立公園の特別地域においても、各種行為に関して厳しい規制がなされているわけですが、やはり給餌行為については特別なにも規制はしていないのですね。むしろ特別地域内といったところでも餌台の設置とか水やり台の設置に許可はいりませんとわざわざ書いてあります。許可不要な軽微な行為ということです。

国の法律では困った餌づけ等の規制ができないということなので、一部の市町村では独自に規制条例を設けています。いくつか例を挙げますと、サルに関しては群馬県の水上町あるいは大阪府の箕面市で、水上町が一万円、箕面市は三千円の過料を科しています。日光市や福島市のサル餌づけ禁止条例が有名ですが、これらでは名前を公表しますというだけです。イノシシに関しては神戸市の条例がありますが、指導しますよというだけです。全般的に餌やりを禁止しているところでは、埼玉県飯能市の環境保全条例がありますが、飯能市では自粛を定めたというだけです。一番厳しいのは水上町ということになります。

ちょっと話がずれると思われる方がいるかもしれませんが、会場に釣りをされる方いらっしゃいますか?私はたまに釣りをするのですが、釣りをする際に魚が寄ってくるようにコマセという餌を撒くことがあります。これについては、12の都道府県の漁業調整規則の中で、漁業者でなく遊漁者が行なう趣味の釣りでは撒き餌釣り、コマセの使用が規制されています。もともと水産省は全面的な禁止を指導していたわけですが、みんながやっていて実情に合わないということで平成14年から規制緩和されました。ただ、現在でも12の都道府県では基本的に禁止されています。また、湖や川では漁協が内水面漁業調整規則という遊魚規則を定めており、芦ノ湖などコマセが規制されているところもあります。

こういったところが現行法における給餌と餌づけの位置づけですが、要するに国の法律では基本的に規制がない。これは餌づけがむしろ保護事業の一環としてとらえられているということです。反面、一部の餌づけ問題に困っている自治体は、独自の規制条例を設けて対応しているといった状況です。
これについてあくまで私見で評価させていただきますと、やはり国の法律にもあるように、餌づけというのは野生動物の保護管理におけるマネージメントの一つの手段であるということは認めざるを得ないと思います。絶滅危惧種の回復のみならず、その場に存在してふさわしい、増やしたいあるいは守りたい野生動物を、給餌という手段を用いてその数を調整するといったことは想定されるだろうと思います。
それでも、個人の勝手な餌づけというのは問題を引き起こす可能性が大きいと思います。結論としては、法律による何らかの規制は必要だろうと思っています(図1)。

ただ、このような場所でお話ししていると、どんどん法律で規制してくださいといわれることが多いのですが、法律で規制をするには合理性であるとか相当性といったものが必要です。いうなればバランス感覚が必要ということです。要するに法律というのは実現可能性がないといけません。ですから法律は最低限の道徳だといわれます。右の頬をたたかれたら左の頬を出しなさい、と聖書にそのような言葉がありますが、そういうハイレベルなことを法律で要求してはいけないのです。誰でもできることを要求しないといけない。確かに法律というのは社会規範ではありますが、そういうレベルのものであるということを頭におかなければいけない。そういった意味で、餌づけに社会的な合理性があるのか、餌づけの禁止に社会的な合理性があるかといったことも問うていかなければならないわけです。

そのように考えていくと、餌づけだけが生態系の撹乱要因ではありません。特にイノシシの発表を聞いていて思ったのですが、今私は意図的な餌づけの話をずっとしていますが、意図的な餌づけの何倍も非意図的な餌づけはあるわけだし、開発を通じた環境改変なども大規模に行なわれているわけです。そのあたりも考えなければいけない。餌づけに悪い部分はあるのかもしれないし、自然のものは自然にということが理想としてあるかもしれないと思いますが、それは一種の自然観や自然保護観ではないでしょうか。人それぞれのものの見方、哲学です。そういった哲学というものを法律で強制していいのかということです。強制するからには哲学ではなくて、実際に法律で規制するほどのデメリットやリスクがあるということを示さなければいけない。

これは同じくイエローストーン国立公園の最近のもので、ヘラジカを観察しているところです(写真5)。
もうクマをはじめ餌づけは基本的にやっておりませんが、人と動物との距離が近い。人によっては、いいなあ、私も行きたいという方もおられるかもしれません。でも、こんなに人がいっぱいいて自然っぽく見えないところは嫌だ、もっと孤独な原生自然を取り戻さなければいけないと思われる人と、両方おられると思います。そういった意味では、自然観あるいはレクレーション観というのは人それぞれなのではないかと思っています。

餌づけ行為に対する法的対策

対応策としてあくまで私見ですが、全面的な給餌や餌づけの規制というのは不要かと考えています。アメリカの例では、全面的な規制というのは市町村レベルではありますが、州レベルといった大きな枠組みではありません。ただ、個別にはいろいろな問題が発生します(図2)。

例えば、特に都市部を中心とした局地的な被害といったものに関しては市町村条例、あるいは公園でしたら公園の管理規則、集合住宅でしたらマンションの管理規約であるとか、そういったもので対応をされた方がよいのではないでしょうか。そうすれば地域の実情に合った解決策ができます。地域猫やゴミの問題なども含めて総合的にやっていただければよいかと思います。
ただ、脆弱な自然の保護については、例えば国立公園であるとか自然環境保全地域の特別保護地域であるとか、あるいは鳥獣保護区の特別保護地域といったところは、やはり自然保護という目的のある場所ですからきちんと規制をしなくてはならないと思います(図3)。また、有害鳥獣になり得るものや危険種に対する給餌も、原則的に禁止するべきであると思います。クマやシカ、イノシシ、サル、あるいは特定外来生物への給餌は禁止すべきでしょう。片方で給餌して片方で殺していたらしようがないですから。

あと、悩ましいのは水鳥への給餌です。これも、少し規制の具合が弱い届出制などにするべきであろうと思います(図4)。届け出制にしておけばどこでどうやって給餌しているかということは把握できますから、鳥インフルエンザの発生などが起きた時にはこれを命令で禁止できるようにする、といった方法をとっておけばいいかと思います。

また、イノシシのところで出てきましたが、我が国の鳥獣保護法には餌を用いた狩猟については何も書かれておりません。釣りに関しても、先ほどコマセを撒いてはいけないとありましたが、餌でおびき寄せて獲ることについては特に書かれていません。これは資源保護、動物愛護あるいはスポーツマンシップ、狩猟者同士のモラルの問題の観点から検討した方がいいのではないかと私は考えています。

検討すべき論点

最後に、私たちが検討すべき論点です。繰り返しになりますが、リスクと規制のバランスを考えなければいけないということです。餌づけだけを目の敵にはできない。他にも色々な撹乱要因があるわけです。
私が思うには、Wild Life Viewingという言葉があるように、餌づけをするのは野生動物を見たい、あるいは写真を撮りたいということなので、一種の野生動物の利用です。野生動物へ何らかの影響を与えているわけですから、一種の利用になります。利用であり、レクリエーションです。同じ野生動物の利用であっても、餌づけだけは非常にやかましくいわれる。でも例えば、釣りや狩猟だと皆さん非常に寛大ではありませんか?それはどうしてなのでしょうか。

自然観察に行くのに餌を撒いたら自然っぽくないでしょうとか、趣味が悪いでしょうということがいえると思いますが、趣味が悪いというだけで法律で規制するというのは少し無理があるのです。逆に、ふれあいであるとかWild Life Viewingの糸口になるというメリットもあるという話もしましたが、そういった意味ではそう簡単な問題ではない部分もあるのです。

私権、すなわち所有権に代表される個々人で持っている権利ですが、それとの調整も問題になります。簡単にいうと、私の土地で私が勝手に餌を撒くのがなぜ悪い、という話が出てくると思うのです。幸いに川は多くの場合公共のもの、すなわち公物ですが、池などでは個人が持っている池もあります。あるいは畑に撒いたり田んぼに撒いたりする。私の田んぼですることの何が悪い、といわれるかもしれません。しかし、野生動物は基本的には無主物ということで政府が管理することとなっていますので、給餌を禁止するということは可能です。土地はあなたのものだけど動物はあなたのものではない、ということです。しかし、禁止するにはやはり合理性が必要になってくるわけです。

特に非意図的な給餌になってくると、これは難問です。私は非意図的によくイノシシを給餌してしまいます。妻の実家へ行くと、生ごみを捨てるのに畑に穴を掘って埋めるのですが、5回に1回ぐらい掘り返されます。多分イノシシだと思うのですが。また、最近私は田んぼと裏山との間に桃の木を植えたのですが、これも非意図的給餌になるのです。私たちの土地ですから何をしようと勝手です。しかし、これは考え直さなければいけない。仮に私が桃の木を植えて、それによって地域に損害を及ぼしたという場合には、それはやはり損害賠償しなければいけないと思うのです。そういったことを起こしてしまったら責任を持たなければいけない。

餌づけによって他人に被害を与えた場合には、民法上の損害賠償責任が発生します。ただ、因果関係が証明されないといけません。風が吹けば桶屋が儲かる的なものでは困るのです。家畜などが与えた損害の場合は、民法七百十八条で動物占有者責任というものが発生して、被害者つまり損害賠償を請求する側が因果関係を立証しなくてもいいのですが、野生動物になると家畜ではないので、餌づけをしている人が動物の占有者であるとはなかなか認定されないでしょうから、通常の不法行為の場合と同様に、賠償を請求する側が因果関係を証明しなければいけないのでそう簡単ではないかもしれません。ちなみに、奈良公園のシカは「奈良の鹿愛護会」の占有物だという判決があります。ほかの餌づけの場合はケースバイケースでしょうか。

駆け足ではありましたが、餌づけに対する法的評価と対応策についての話を終わりたいと思います。最後のこの写真は、餌づけをしていないシカを観察しているところです(写真6)。
こうして野生動物を観察している方がいらっしゃいますが、ひとつだけ引っかかっていたのは、野生動物の専門的な研究者と話をしていると、どうも彼らは一般大衆を野生動物から遠く離そうと考える傾向にあるのでは、ということです。それは専門書などにも指摘されていることなのですが。やはり、野生動物というのはみんながふれあい、何かしらのベネフィットを得られるものでなければいけないわけで、一般大衆が野生動物といい関係を保つにはどうするべきかということは、この問題を扱ううえで考えなければいけないことだと思います。

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