野生動物保護管理事務所の白井と申します。様々な立場で様々な場所でサルを観察する機会がありましたので、そのような立場から、今日はニホンザルの餌づけの問題についてお話しさせていただきます。
サルといえばバナナという連想をされる方がまだいるようですが、野生のニホンザルは、通常、バナナは食べません。
まずニホンザルにおける餌づけの分類ですが、特定の管理者がいるかいないかで分けられます。意図的な餌づけとして、野猿公苑や観光道路などでの餌づけがあり、非意図的な餌づけ、つまり餌を与えようとは思っていないけれど餌づけになっている、といった農林水産業に関連するものが多くあります。サル以外にも、シカやクマやイノシシの話も同様と考えられます。
前半の話の多くは、野猿公苑の話をします。野猿公苑は、野生のサルに餌を与えて人に対する警戒心をとくことによって、サルを間近に見ることのできる場所です。明治、大正、昭和初期にかけて、サルに限らず多くの野生動物が狩猟によって数を減らし、人を恐れるようになっていたといわれています。つまり、日本人にとってニホンザルは、なじみ深いけれど実際に見る機会のない動物になっていたようです。そこで登場したのが野猿公苑でした。
野猿公苑は観光資源や研究のフィールドとなっていたけれども、自然界のバランスを乱しやすい性質を持っているために、最近では観光資源や教育資源として楽しく適切に利用することが求められています。
これは大分県にある高崎山自然動物園ですが、最も有名な野猿公苑だといわれています(写真1)。一方、これは千葉県の野生の群れで、野生の群れとしてはたくさんのサル写っていますが、野猿公苑に比べれば全然少ないです(写真2)。
これは観光道路での餌づけの様子で、自動車の上にサルがのって餌をねだっているところです(写真3)。観光キツネと同様に餌を与えている人がいます(写真4)。
次は非意図的餌づけの例です。これは梅が咲いている春先の季節に捨てられたミカンです(写真5)。ミカンの収穫は12月に終わりますが、その後もこのように餌のたくさんある場所があります。この写真は、すでに収穫期が終わっている3月にもミカンが残っているのでサルが食べています(写真6)。秋に収穫するリンゴもまた、リンゴ園の道の向いにある竹林の中に捨ててあるために、冬になってもサルが利用しています。私たちが雑草と思っている草本やツル性植物もニホンザルは大好きです。当然、イネがあると食べにくるわけです。次のこの写真は、収穫後の、いわゆる二番穂です(写真7)。人間は収穫しませんがサルにとっては主要な食べ物になっています。
餌づけがサルと人間へ及ぼす影響についてですが、まずサルの食性が変化することが挙げられます。植物がおもなメニューですが、畑のあるところでは農作物も食べるようになる。そういった餌は栄養条件がいいので個体数が増加し被害が増大します(図1)。さらに群れが分裂することによって分布域が拡大し、被害地も拡大していきます。例えば出産率は、餌づけされた野猿公苑の餌づけ群(畑に出てくる群れ)は自然群(畑に出ない群れ)に比べて高いという調査結果となっています。高崎山では餌づけ当初は約200頭だったのが2000頭を超えて、大変なことになっていきました。
人に馴れてしまう、人間との距離が接近してしまうという影響があります。そうすると、人身被害(荷物を取られたり、威嚇されたり)、さらには家屋侵入や農作物の被害へも波及していきます。この点は後で説明します。
安易な餌づけ行為の黙認はサルにも人間にも非教育的です。人間は餌をくれる存在だと人間がサルに教えてしまっている。人間にとっても本当は餌をあげてはいけない場所でやっていることが黙認されると、善悪の判断を鈍らせることになります。
この問題点を整理するならば、特定の管理者の有無が重要ということになります。管理者がいる場合は責任の所在が明確で、目的があるということです。もちろんこれだけで安易でないとはいえませんが、一応目的があります。しかも短期間ではなく長期にわたって十分な管理ができているかが重要になってくると考えます。しかし現実は、観光目的としてきた多くの野猿公苑はなくなっていきます。研究ではまだ餌づけが行なわれていますが、餌づけによる弊害を防ぐために「人づけ」という、人との距離は近いけれども餌はやっていないという手法もとられるようになっています。また被害対策と思って餌づけしてきたのが助長してしまっているということで、通常はもうやられていません。
責任の所在がはっきりしていない場合は、目的がないので適切に管理できず無責任になってしまいます。意図的な餌づけを実施するならば十分な管理が不可欠であり、できないならば実施しないことです。今日は詳しく説明できませんが、開園している野猿公苑を閉園するのもまた大変なことで、各地で苦労されています…。
そのなかで運営できている野猿公苑の例です(図2)。高崎山自然動物園は、大分市が実施主体で、財団に管理を委託し、専任の常勤職員が配置され、餌場や給餌量の管理、巡回が行なわれています。大学機関の協力もあります。しかし、来園者数は1964年に190万人だったのが、2006年には31万人に減りました。多くの野猿公苑では、経営難や猿害(畑の被害)によって廃止が相次いでいきました(図3)。野猿公苑は1950年代から70年代に国内にどんどんつくられて41苑にまでなりましたが、最近では10苑ほどまで減っているそうです。
法的規制については簡単にしかお話ししませんが、サルは野生動物ですけれども、飼育する場合は、動物愛護法という法律によって危険動物という扱いになります。人との距離が極めて近くなる餌づけのサルについても、危険がともなう認識が必要ではないかと思います。また日光などでは餌づけ禁止条例が制定されていますが、特に道路での餌づけについてはパトロールをして、餌をやっている人に注意することが必要ではないかと考えます。
次に非意図的餌づけの影響についてです。食性の変化については、経緯は先ほどの意図的餌づけと似ており、やはり食性の変化や栄養条件の好転から個体数増加、被害の増大へとつながり、分布域の拡大、被害地の拡大へと進んでいきます。出産率についても意図的餌づけと同様に、加害群(畑に出てくる群れ)は自然群(畑に出ない群れ)に比べて高いといわれています。場馴れ、つまり耕作地に誘引されて馴れていくと、そこで農作物被害が発生し、家屋侵入、ひどい場合は人身被害へとつながっていきます。
なかでも問題となるのは、性成熟にしたオスザルが群れを出ていく、あるいは隣や遠方の群れに移っていくニホンザルの習性にあります。このオスザルが場馴れや人馴れを他の群れに伝播していきます。また、このようなサルは率先して畑に出てしまうので、他の個体も追随することになり、場馴れ・人馴れがさらに拡大していきます。
山の中でドングリやアケビを食べてくれていればよいのですが、人里に降りてきてカキを食べたり、民家の屋根に乗ったりします。赤ん坊や子ザルが、母ザルに連れられて群れと一緒にこういった毎日を送ることで平気になってしまいます(写真8)。
耕作地は昔からあったにも関わらず、なぜ最近被害がひどくなったのかを考えると、農業の衰退、なかでも農山村の過疎高齢化で畑を守る人の元気がなくなったのが原因だと思われます。以前は、ニホンザルも食用や薬用に使われていたそうですが、現在はそのための捕獲の必要性も低下しました。解決方法としては、畑に来るのは作物などを食べにくるわけですから、食べさせないようにすることが必要であると考えます(図4)。いくつかの獣害対策のメニューのなかで、農地管理は防除にとって必須で、農家のやる気次第で可能になります。例えば草を刈るなど、高価な電気の柵を買わなくてもできる方法もあり、他の防除方法と組み合わせることが可能です。
猟友会の方のなかには銃も使いますが、1頭のサルに発信器をつけて、アンテナでサルの居場所を突き止めて、数十頭の群れを追い払うことも並行して行ない、サルを畑に入れずに作物を食べさせないようにしています。犬猿の仲といいますが、イヌを使って、サルが畑に来たらイヌが吠えて蹴散らすという方法を上手く活用したらいいと思います。しかし、農家の方にイヌを勧めると、イヌをつなぐのはたいへん、イヌがかわいそう、狂犬病ワクチンの注射代が高い、などといった理由のため、あまりやっていただけません。小さい畑ならば1頭つないでおくだけでも十分防げますが、過疎や高齢化で、そういうことがなかなかできない現実があります。
これは、群馬県のある場所のクワです(写真9)。養蚕が衰退してクワ畑はそのままになっているけれども、よくないことにクワはサルの大好物です。現在、養蚕はやっていないので、被害とは認識されませんが、大好物のクワに誘引されて農地に出てきて被害が増えてきます。そうすると、対策をどうしたらいいですかとよく聞かれます。この時、できるかできないかは別として、被害を防ぐためにはクワをどうにかしなくてはいけないと答えます(図5)。しかし、皆さんがどうされるか…。こういった背景があるなかで、保護管理という、調査しながら結果をフィードバックして、計画的に順応的に保全と被害防除を行なう、そういう対策が行政などで進められています。
これまでをまとめてみます(図6)。サルの食性が変化していくといった点は似ていますが、非意図的餌づけの影響は、農地がある地域で発生しているわけですから広大であるのに対して、意図的餌づけの影響は現場およびその周辺に限定されます。
意図的餌づけは人馴れ、非意図的餌づけは場馴れから進んでいきます。意図的餌づけは非教育的である、ということ。あと、管理者がいるかいないか、管理ができるかどうか、過疎高齢化などが問題となっています。解決方法についても管理できるかどうかが重要で、無理なら餌づけを止めた方がいい。野生動物管理の考え方も取り入れて地域振興の中でやっていったほうがいいのではないかと考えています。
このようにみていきますと、餌づけの影響は人間のやったことから全てはじまっているわけです。結局そこには矛盾が出てきて、意図的餌づけの場合は、人間が給餌によって個体数を増やす一方で、給餌を抑制したり避妊をしたり、捕獲までして個体数を抑制しようとしています。非意図的餌づけの場合も、わざとではないけれども人間が耕作地に誘引しておきながら、耕作地を利用させない対策をとろうとしています。
サルの関係者の間では、餌づけの功罪についての話題がよく出ます。罪については話してきた通りことですが、功についてはほとんど話していません。野猿公苑での経済的効果や、サルを間近で見ることによる教育的効果があったといわれています。また日本のサル学は国際的な大きな業績を数多く残しています。ただ、結果的に様々な問題が起きてしまったのは事実です。そのなかで、餌づけに関わってきた研究者は、問題が大きくなって知らんぷりしていたわけでなく、検討会をひらいて反省や展望を語ったり、雑誌に特集を組んだり、様々な議論をしたりしています。さらに、給餌量の制限や避妊の導入など具体的な対策を、野猿公苑や行政に提案もしています。
今日お見せするのがいいことかわかりませんが、これは20年ほど前に私が箱根の観光道路に行った時の写真です(写真10)。当時この観光道路では観光客などによる意図的餌づけがされていた場所で、私はどのぐらい近づけるのだろうと思って近づいてみたところ、サルに触れることができました。さらに、このサルはどこかに連れて行ってくれるような素振りもみせてくれました(写真11)。正直嬉しかったですね。ちなみに、この時私は餌づけをしていません。
餌を与え、野生動物に触れることで私も嬉しい気持ちになってしまうことを隠しませんが、しかし先ほどから話しているように、あるいはこのあとの演者の話にもあるかと思いますが、様々な問題が起こってしまうわけです。動物側は、餌を供給するという人間側が設定した条件に応じて行動しており、そこに餌があって妨げるものがなければ食べに行くというのは当たり前の行動なのです。動物に餌を与えないか、もしくは餌を与える私たち人間を管理することが必要であると考えます。